「天才子役」と呼ばれる存在には、いつも強いスポットライトが当たります。
でも、その光の裏側で、どんな毎日を過ごしていたのかは、意外と知られていません。
渡邉このみさんの子役時代を振り返ると、
“成功”という言葉だけでは語りきれない、複雑な時間が浮かび上がってきます。
渡邊このみの子役時代は「思い出づくり」から始まっていた
渡邊このみさんの子役時代を振り返ると、まず意外に感じるのが、
そのスタートがとても軽やかなものだったという点です。
子役と聞くと、
何度もオーディションを受けて、落ちて、泣いて、それでも家族に支えられて――
そんなエピソードを思い浮かべる人も多いと思います。
でも渡邉このみさんの場合は違うものでした。
3歳で子供服のモデルを始めたきっかけも、
映画『八日目の蝉』への出演も、
どちらも母親の「やってみる?」という一言から始まっています。
本人も後に語っていますが、
当時は「これをやりたい!」と強く願っていたわけではなく、
あくまで思い出づくりの延長のような感覚だったそうです。
ただ、やってみると、
「求められたことに応える」ことが楽しかった。
新しいことを覚えることも面白かった。
子供ですから、
演技とは何か、モデルとは何か、
そんなことを深く理解していたわけではありません。
それでも、
「こうして」と言われたら、その通りにやる。
監督や大人の期待に、まっすぐ応えようとする。
渡邊このみさんは
**“求められたことができてしまう子供”**だったのだと思います。
そして、そのちょっとした楽しみだったものが、
あまりにも早く、大きな結果につながってしまいました。
渡邊このみの子役時代を決定づけた『八日目の蝉』
渡邊このみさんの子役時代を語るうえで、
やはり欠かせないのが映画『八日目の蝉』(2011年)です。
成島出監督、井上真央さん主演。
作品自体が高く評価され、
第35回日本アカデミー賞で最優秀作品賞も受賞しています。
今振り返っても、かなり重たいテーマの作品です。
その中で、
主人公の幼少期という重要な役を演じたのが、
当時4歳の渡邊このみさんでした。
演技経験はまったくなく、子供服モデルを始めたばかりの頃でした。
しかも、数百人に及ぶオーディションを重ねた末、
演技未経験だった渡邉このみさんが起用されました。
成島監督が
「ある意味、ギャンブルだった」
と語ったほど、その起用は大胆なものでした。
それでも彼女は、
「監督に言われたことを、そのままやる」
ただそれだけを、幼いながらに真っ直ぐ実行しました。
結果として、
渡邊このみさんは作品をしっかりと支え、
史上最年少で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞します。
5歳での受賞。
世間から見れば、まさに“天才子役”の誕生でした。
ただ、本人にとっては、
その瞬間から何かを選んだという実感は、
ほとんどなかったそうです。
気がつけば、
仕事が増え、
環境が変わり、
思い出作りのつもりが、一気に厳しいものに変わってしまいした。
渡邊このみの子役時代は、気づかぬうちに負荷が積み重なっていた
渡邊このみさんの子役時代は、
外から見れば順調そのものです。
ドラマ、CM、映画。
イベント出演も増え、
知名度も確実に広がっていきました。
でも、その裏側で、
彼女の心には少しずつ負荷が溜まっていきます。
本人は後に、
「続けるかどうかを考える間もなかった」
と振り返っています。
とくに大きかったのが、
演技と現実の境界が曖昧になる感覚でした。
現場では、
カメラが回っていない時間でも役名で呼ばれることが多く、
幼い年齢では、
「これは役」「これは自分」と切り替えるのは簡単ではありません。
さらに、
虐待を受ける役柄を演じることも重なり、
その感情が心に残ってしまうこともあったと語っています。
4歳、5歳といえば、
サンタクロースを信じて、
お買い物ごっこをして、
空想の世界で遊ぶ年頃です。
その一方で、
プロとして集中力や表現力を求められる。
子供らしさと、
大人から求められる完成度。
その両立は、
想像以上に難しいものだったのだと思います。
渡邊このみの子役時代を支えた「いい子」でいようとする姿勢
渡邊このみさんの子役時代を語るとき、
もうひとつ見えてくるのが、
「いい子でいよう」とする姿勢です。
撮影現場では、
朝早くから夜遅くまで続くことも珍しくありません。
それでも、
「眠い」「お腹が空いた」と言わず、
現場を止めないように、
ひたすら我慢していたといいます。
年上の人から高圧的な態度を取られたり、
年齢にそぐわない言葉を投げかけられたりしても、
笑って受け流すしかなかった。
なぜなら、
子役という立場では、
空気を読むこと、
大人に逆らわないことが、
“正解”だったからです。
ただ、その我慢は、
少しずつ、確実に、
心の奥に溜まっていきました。
学校生活でも、
何気ない会話がわからない。
どうしてみんなが笑っているのか、ついていけない。
ランドセルに画鋲を刺されるなど、
辛い経験もありました。
「求められることには応えられるのに、
何も求められない場面で、どう振る舞えばいいのかわからない」
その感覚は、
子役として育ったからこその寂しさだったのかもしれないし、
そう感じてしまうほど、環境が特殊だったのだと思います。
渡邊このみの子役時代が終わり、初めて自分が選んだ決断
渡邊このみさんが芸能活動を休止したのは、2019年。
小学6年生のときでした。
表向きの理由は「学業専念」。
でも実際には、
心が限界に近づいていたと本人は語っています。
「このまま続けたら、パンクしてしまう」
そう感じて、
初めて母親に「辞めたい」と打ち明けました。
母親はその気持ちを受け止め、
事務所との調整を行い、
契約満了という形で芸能界を離れることになります。
その後、留学を経験し、
一般の学生として過ごす時間を持ち、
彼女は少しずつ自分を取り戻していきました。
そして現在は、
事務所に所属せず、
自分で仕事を選びながら、
無理のない距離感で演技と向き合っています。
「子役時代の自分と、今の自分。
どちらがいいかと言われたら、今です」
その言葉は、
勢いで出たものではなく、
立ち止まって考えた人だからこそ出てきたものだと思います。
まとめ|渡邊このみの子役時代は「成功」だけでは語れない
渡邊このみさんの子役時代は、
確かに人気者でした。
でも同時に、
子供には重すぎる現実を抱えた時間でもありました。
それでも彼女は、
壊れてしまう前に立ち止まり、
自分の人生を選び直しました。
その選択は、
「消えた子役」ではなく、
自分を守ることを選んだ人として、素直に尊敬したいと思います。
彼女の歩んだ道は、
子役という仕事の在り方を、
私たちに静かに問いかけているように感じます。

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